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お稽古事から学ぶ「継続なくして成果なし」

2020年08月08日

こんにちは、低学年担当の福島妙です。

今回は自分自身の苦労をお伝えすることで、自己成長には時間がかかることを知って欲しいと思います。

木の積み木が階段状につまれた画像です。

お茶のお稽古が再開

コロナが拡がったことで、お茶のお稽古も休講となっていました。

長いお休み後にようやく7月からお稽古が再開されました!何度かブログでお茶のお稽古を一大決心してスタートしたことを書いてきましたが、現在も何とかお稽古を続けています。

でも、あいかわらず月に3回お稽古に行くたびに「はぁ~。もう無理だ。」とぐったり。

きっとお茶を長く習っている方からすると、「そんなこと言ってないで、まだはじめたばかりなんだから。」という感じだと思います。でも、やっぱり向き不向きってあるようで、きっと私は根本的にお茶には不向きなんだなということを思い知らされるばかりで、その度に自己嫌悪に陥ってしまいます。

「そんなに向いてないなら、やめた方がいいよ」という悪魔のささやきが毎回聞こえるのも事実です。でも、50歳までになんとか「薄茶のお運び」だけでも、冷や汗かかずにできるようになりたいのです!

「~できるようになりたい」という目標設定

私は飽き性で、一つのことを長く続けることが苦手です。でも、きっとそれは何一つ継続してこなかった自分の言い訳にしているのだと、大人になってから気づきました。

きっと最初に目標設定をしないことが継続できない原因だと考え、お茶のお稽古を始めることを決めた時に目標設定をしました。

それが、前述した「5年後に冷や汗をかかずにお茶を点てるようになり、お茶のお稽古を楽しめるようになること」です。

きっと茶道に向いている方だと、「すぐにできるのかな?」というレベルかもしれません。しかし私にとってはフルマラソン走るきるくらい大変そうです。

でも、なりたい自分をイメージをすることで、頑張れるのだと思います。

何がそんなに難しいのか

さて、お茶の何がそんなに難しいと私は感じているのでしょうか?

「全部です。」 wwww

どこが難しいかというより、すべてが今まで意識してこなかったことを意識することが難しいのです。そして、意識しないといけないとなると自然な動きができなくなり、そして当たり前のようにできるはずのことができないことに難しさを感じています。

お道具に名前があること、どうして決められた動きがあるのか、お茶を頂く前に感謝して頂くことなど、すべてに意味があります。

先生から説明されると「あー、そういう事なのか。」「あー、だからここに置くのか。」と頭では理解できます。それらすべて意味のあることを、普段全く意識をしてこなかった自分がいることが、私の一番欠けている部分なんだと思います。それは、日ごろの習慣で元々当たり前のように過ごしてこられた方には、造作もないことなのかもしれません。

しかし、なぜか私は色々なことができません。

例えば、本当に細かいことなのかもしれないですが、指と指の間がすこーし開いていたり、背筋がのびていなかったり、身体にぐっと力を入れすぎていたり・・・一つ注意されて、そこに気を取られると、また別のことがおろそかになってしまいます。

そして、さらに現在進行形で苦しんでいるのが、季節によってしつらえが違うことです。

半年やってきたこと、季節が寒い時期から暑い時期にかわったことで、釜の位置などすべてが変わってしまいました。ほんの少しですが積み上げたものが「はーい、リセットねえ」と崩された感じがしました。ww

自然にできるようになるまで繰り返す継続力

とにかく、自然にできるようになるまでは繰り返し、繰り返し、継続する力が必要なんだということを感じています。

それは、簡単なようでいて私にはとても難しいことです。すぐに結果を見たい、すぐに成果を感じたいという気持ちをなくすことがお茶を学ぶには必要ですね。

背伸びせずに、真摯に継続していけば、いつかほんの少しお茶を楽しめる日がくるかもしれません。

「今回は勉強と全然関係ないじゃないか。」と感じられた方もいるかもしれないですねぇ。でも、実はそんなことないということを感じとってもらえるといいかなと思います。「すべての道は一歩」から、そして、次は「継続なくして成果なし」なんです。色々なことに通じるものだと思われませんか?

 

お最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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